2015年10月2日金曜日

自分の軸って何ですか?

こないだとあるブロガーさんの記事を読んでいて、投げかけられたこの質問。

「あなたが生きていく上で、軸となるものってなんですか」

今までわりとこういう系はスルーしてしまっていたのですが、なんとなくひっかかって、真剣に考えてみることにしました。


私はいつからか、生きていく上で一つ決めていることがあります。それは
「死ぬとき後悔しないようにすること」

人間、いつ死ぬかわかりませんからね。
たとえ明日、いや、今日、突然事故や心臓発作などで死んでも後悔しないように、今できるベストな状態でいたいと思っています。


やらないよりはやったほうがいい。
心配や不安よりもワクワク・ドキドキ、まだ見ぬ世界を見てみたい。
そのためにできる努力はしたい。
がまんしたくない。
いつも全力で生きていたい。
いつも幸せを感じていたい。


そういう視点で言えば、日本語教師という仕事は、本当に私にぴったりなんです。
世界をさすらうことができるので、「いろんな世界が見たい」という好奇心が満たされています。
異文化にいるので、いつもドキドキ・ワクワク。
外国人の学習者とのふれあいも驚きの連続でドキドキ・ワクワク。
外国をさすらうために、大学院にも行ったし、語学も(それなりに)がんばっています。
魅力ある教師になりたいので、いろんな本を読み、体にいいものを食べ、常に笑顔を意識し、内側から輝けるように努力しています。
同じことを何回も教えていても、学生が違えばいつも同じようにはいかないので、終わりがなくてあきません。
日本語の奥深さを知ったり、さらにわかりやすくておもしろい授業にするための授業研究や、日本語力を効果的に伸ばすための実践研究、学会や研究会への参加など、知的好奇心もいつも満たされています。
そのための苦労や努力は苦痛ではなく、むしろ楽しんでできていると思います。

そして何より、学習者のキラキラパワーは私に胸キュンと元気とエネルギーをくれます。
だからいつも学生と一緒にいたい。
学習者のキラキラした笑顔が見たい。
それは私を細胞レベルから元気にし、幸せで満たしてくれるから。
だからできれば死ぬまで教壇に立っていたい。
そのために必要なことならば、なんだってするつもりです。

なんだかまとまりがなくなってしまいましたが、私の軸になるものって、もしかしたら「日本語教師」なのかもしれないな、と。

学習者とのふれあいがなくなったら、イキイキとは生きていけないと思います(ホントに)。先程ちらっと、日本語教師になってから大学院に行った話をしましたが、そのとき、日本語を教えていない生活をした時期が数か月あり、もうホントにつらくてストレス溜まりまくりでした。その後TAやバイト先を見つけてなんとかことなきを得ましたが、あの時、日本語を教えること、学習者からもらうエネルギーが私にとってどれほど重要かというのを痛感したんです。

もう一つの軸はヨガ生活ですかね。もはや趣味を通り越して、私の心と体、生活全般にしみわたっていて切り離せません。

職業が軸になるなんてどうなん?と思いましたが、私は日本語教師は天職&ライフワークだと思っておりますし、だから今ここにいられるわけですし、認めてしまえば、この軸、私にはしっくりくるもののようです。